『相澤忠洋記念館公認ホームページ』 (仮)保管所

「ぷららプライベートホームページサービス」にて1997年より開設されていた、『相澤忠洋記念館公認ホームページ』(http://www15.plala.or.jp/Aizawa-Tadahiro/)のキャッシュログを紹介、保存するブログです。

2024年06月

 1995年(平成7年)の5月、相澤忠洋の七回忌に『足尾路遺文』は小冊子として発刊されました。下の画像がそれです。表紙の題字は相澤本人によるもので、新聞連載時にも表題として掲載されていました。
ashioji
 以下、連載当時の小/見出しを並べました。()内は昭和47年/1972年の掲載日です。本ブログの仕様上、再現できませんでしたが、木欒子には「もくれんじ」、甍には「いらか」とルビが振ってあります。
    1. はじめに  心ひかれた巡礼道 (9月30日 土曜)
    2. 石階段の寺①  本堂まで続く玉石 (10月1日 日曜)
    3. 石階段の寺②  札所一番の故事来歴 (10月3日 火曜)
    4. 竹林の大寺  京都を思い出す風景 (10月4日 水曜)
    5. 清水寺  手足のない千手観音 (10月6日 金曜)
    6. 追憶の寺①  法灯の面影なし (10月7日 土曜)
    7. 追憶の寺②  林のなかに堂跡 (10月8日 日曜)
    8. 追憶の寺③  千社札みつける (10月10日 火曜)
    9. 追憶の寺④  雑草の中に手洗鉢 (10月11日 水曜)
    10. 戦跡の寺  千人塚、今でもお祭り (10月12日 木曜)
    11. 杉木立の寺跡  額に昔をしのぶ (10月13日 金曜)
    12. 老桜の寺  衛士思わす地蔵 (10月14日 土曜)
    13. 老松の寺  戦乱の時代に建つ (10月15日 日曜)
    14. 廃寺の長円寺  カヤに往時の面影 (10月17日 火曜)
    15. 岩宿地蔵院  みごとな尊像二体 (10月18日 水曜)
    16. 木欒子の寺  権威あった朱印状 (10月20日 金曜)
    17. 町筋の大寺  ご本尊は柿薬師 (10月21日 土曜)
    18. ほほえむ仏像  託す子宝への願い (10月22日 日曜)
    19. 梵鐘の寺  路傍に百体の石仏 (10月24日 火曜)
    20. ケンポナシの寺  法灯守る90歳の僧 (10月25日 水曜)
    21. 甍の寺  古戦場後に秋の花 (10月27日 金曜)
    22. 茶の木の寺  本堂だけがポツンと (10月28日 土曜)
    23. 俳諧の寺  俳人と交遊22世 (10月29日 日曜)
    24. 老梅の寺  焼けただれた仏像 (10月31日 火曜)
    25. 柿の木村の寺  すばらしい尊像 (11月1日 水曜)
    26. 谷間の寺跡  焼失、いまは一面畑 (11月3日 金曜)
    27. 石堂の院  祠に昔をしのぶ (11月4日 土曜)
    28. 河原の寺  墓石に冷たい川風 (11月5日 日曜)
    29. 神戸宿の寺  荒れた社殿に道祖神 (11月7日 火曜)
    30. 黒松の寺  にぎわい今いずこ (11月8日 水曜)
    31. 座間の寺  227年、変らぬ塗彩 (11月10日 金曜)
    32. 巡礼の心を求め  取材に1500㌔走破 (11月11日 土曜)

 『足尾路遺文』は、朝日新聞群馬版に連載された相澤忠洋の紀行文です。1972年9月30日から11月11日までの32回に亘って掲載されました。渡良瀬渓谷の足尾街道に実在した観音信仰による三十三札所を、相澤が巡礼した記録となっています。
 1995年に一度、この連載は小冊子にまとめられています。七回忌の追善供養として、記念館が少部数発刊しました。新聞連載には掲載されていない取材当時の写真が、多数盛り込まれています。現在入手が困難となっていますので、その一部をこのブログで紹介できたらと思っております。

 以下、新聞連載第1回(日刊朝日新聞群馬版 昭和47年9月30日土曜日)の筆者紹介をそのまま引用します。

筆者紹介
  相沢 忠洋(四六)
新里村在住、赤城人類文化研究所長、日本第四紀学会評議員。

 岩宿遺跡を発見、我が国の旧石器文化の存在を初めて立証した功績で昭和四十二年、第一回吉川英治賞を受けた。「日本の歴史を書きかえた町の人類学者」といわれる。いま、さらに数十万年前の「夏井戸文化」存在に確信を深め、その調査に全力を注いでいる。
 大正十五年、東京生れ。鎌倉在住の十歳のとき父母が離婚。一年近く寺に預けられたが父と一緒に一時、桐生市に移り、東京のはき物店に奉公に出た。終戦とともに二年間の海軍生活を終えて桐生市にもどるが、遺跡発掘に没頭、納豆売りなどの苦労を重ねながら「岩宿」など約百二十カ所の発掘、調査にたずさわり現在、約五千カ所の調査を続行中。
 昭和三十六年、県功労賞を贈られた。著書に「『岩宿』の発見」(講談社)。旧石器文化に関する数多くの学術論文がある。日本人類学会員。県、桐生市、大間々町など五つの文化財専門委員。

 ぷららサービスの契約は5月いっぱいで解約とのことでしたが、土日を挟んだため、本日6月3日月曜のデータ削除となったようです。

 開設以来、沢山のアクセスをいただき誠にありがとうございました。また、サイトを制作してくださった方々にも、心よりお礼申し上げます。HP最終情報更新は2005年となってはおりましたが、記念館の、ひいては相澤忠洋に関する情報をネット上に残せたのは、関係者の方々のお力添えがあってこそです。本当にありがとうございました。

「Internet Archive: Wayback Machine」サービス・保存リンク
 「夏井戸だより」のPDFまでキャッシュ化できたのは、このアーカイブサービスだけでした。


「archive.today」サービス・保存リンク
 「夏井戸だより」のPDFはスクロール不能で、冒頭のみの画像キャッシュです。


〇「ウェブ魚拓」サービス
 保存したページの内部リンクが機能しないので、各ページごとに、以下リンクします。「夏井戸だより」はなぜか3号だけ保存できました。

TOP
 ―銅像が完成
ごあいさつ
お知らせ
ご案内
展示室
 ―記念館の周辺年譜抄槍先形尖頭器自転車
部屋
夏井戸だより
 ―1/2/3/4/8
夏井戸写真館
投稿(ai537@beige.plala.or.jp)
更新履歴・その他

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 2024年5月いっぱいで、記念館は「ぷららサービス」を解約することとなったそうです。ホームページ連絡先であった「ぷららメール」(ai537@beige.plala.or.jp)も使用できなくなります。とはいえ20年近く、メールボックスのチェックは行われていなかったようです(自動削除機能により過去の受信メールも検証不能でした、為念)。
 記念館館長である相澤千恵子さんは、2023年1月から岩宿博物館の特別館長に就任しておられます。ご連絡の際は岩宿博物館へお問い合わせいただいた方が確実です。

 2005年以降、ホームページに更新はありませんでしたが、先日、改めてキャッシュを保存し直しました。こちらにそのリンクを掲載しております(「記念館公認HP アーカイブ・リンク集」)。

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