『足尾路遺文』は、朝日新聞群馬版に連載された相澤忠洋の紀行文です。1972年9月30日から11月11日までの32回に亘って掲載されました。渡良瀬渓谷の足尾街道に実在した観音信仰による三十三札所を、相澤が巡礼した記録となっています。
1995年に一度、この連載は小冊子にまとめられています。七回忌の追善供養として、記念館が少部数発刊しました。新聞連載には掲載されていない取材当時の写真が、多数盛り込まれています。現在入手が困難となっていますので、その一部をこのブログで紹介できたらと思っております。
以下、新聞連載第1回(日刊朝日新聞群馬版 昭和47年9月30日土曜日)の筆者紹介をそのまま引用します。
1995年に一度、この連載は小冊子にまとめられています。七回忌の追善供養として、記念館が少部数発刊しました。新聞連載には掲載されていない取材当時の写真が、多数盛り込まれています。現在入手が困難となっていますので、その一部をこのブログで紹介できたらと思っております。
以下、新聞連載第1回(日刊朝日新聞群馬版 昭和47年9月30日土曜日)の筆者紹介をそのまま引用します。
筆者紹介
相沢 忠洋(四六)
新里村在住、赤城人類文化研究所長、日本第四紀学会評議員。
岩宿遺跡を発見、我が国の旧石器文化の存在を初めて立証した功績で昭和四十二年、第一回吉川英治賞を受けた。「日本の歴史を書きかえた町の人類学者」といわれる。いま、さらに数十万年前の「夏井戸文化」存在に確信を深め、その調査に全力を注いでいる。
大正十五年、東京生れ。鎌倉在住の十歳のとき父母が離婚。一年近く寺に預けられたが父と一緒に一時、桐生市に移り、東京のはき物店に奉公に出た。終戦とともに二年間の海軍生活を終えて桐生市にもどるが、遺跡発掘に没頭、納豆売りなどの苦労を重ねながら「岩宿」など約百二十カ所の発掘、調査にたずさわり現在、約五千カ所の調査を続行中。
昭和三十六年、県功労賞を贈られた。著書に「『岩宿』の発見」(講談社)。旧石器文化に関する数多くの学術論文がある。日本人類学会員。県、桐生市、大間々町など五つの文化財専門委員。
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